沿革

大正12年奈良市東向北町25番地(現在地)に於いて野崎モスリン店を創設する。
昭和2年名称を野崎旗店と改称し、旗・幕類の販売を始める。
昭和3年現在地に於いて染色工場を設置し、旗・幕類並び印入染物の製造加工を始める。
昭和5年上記に付随する業務としてカップ・楯・メタル・バッヂ・プレート類の販売業務を始める。
昭和9年奈良県庁をはじめ、各官庁の指定業者となる。
昭和12年陸軍省ならびに軍需省の特別指定業者となる。
昭和17年戦時統制強化、企業統合により県下の同業者・事務所を統合し、現在地において奈良県印染商工業組合を併設し、衣料品統制配給代行業務を始める。
昭和22年衣料品統制配給代行業務を併営するを契機にタオル・寝具類の一部販売を始める。同年、終戦後の衣料事情の好転等の社会事情により、上記組合を解散する。
昭和31年業務の拡大と営業種目の複数化に伴い、「株式会社 野崎商店」と組織を法人にする。
昭和59年奈良県下に於いて開催した第39回国民体育大会(わかくさ国体)、第20回全国身体障害者スポーツ大会わかくさ大会の指定業者となり、大会旗・幕・バッヂ・記念品類の企画・販売を行う。
昭和63年『民族の英知とロマン』をテーマに開催した「なら・シルクロード博」に積極的に協賛し協会会長(奈良県知事)より感謝状を受ける。
一方、県下同業者(百貨店を含む)による協力団体「なら・シルクロード博メタル記念品協会」を設立(事務局 本店内に設置)、社長が会長に就任し、シルクロード博協会の委託を受け、シンボルマークやマスコットなどのマーク入り記念品の企画・製造販売の代行業務を行い博覧会成功に大いに貢献する。
平成7年資本金1,000万円となる。
平成15年10月代表取締役 野崎尚利就任。
現在奈良県庁・県警察本部・政府出先機関・県下市・町・村・役場・各学校の指定業者として現在に至る。